2009年07月21日

書籍のデジタル化 —閲覧編・iLiadが来た—

以前「書籍のデジタル化」というエントリを書きました。
その後何冊かデジタル化して、iPhoneで読んでいたのですが、あまりにも手間がかかりすぎるので、他の方法を模索していました。
手間がかかるのは「PDF→iPhone用コンテンツ作成」なので、PDFをそのまま読めるデバイスはないものか、と探していたら見つけました。
それが「The iLiad Book Edition
サイトのスペックを見てもらえたら分かりますが、768x1024の解像度で16階調表示(液晶と違いバックライトが要らないので眼に優しい(笑))。しかも内蔵メモリ以外にも、USBメモリ、MMC、CFカードなどが使えます。

実物がこれ
L1010230.JPG
画面サイズは文庫本より若干大きいです。なので、文庫本から作ったコンテンツならば、実物より大きなサイズで読めるわけです。

前のエントリでレビューした『エンダーのゲーム』は初読はiPhone、再読はiLiadでした。
読んだ感想としては、iPhoneだと文を読んでいる感じ、iLiadだと文章を読んでいる感じ、でした。
実際に本を読んでいる時は、一字一句を追って読んでいる訳ではないので、文章全体を一目で把握できるiLiadの方が、読みやすいと感じました。
ちなみにiLiad用のコンテンツは「ChainLP」を使って、768x1024の画像サイズのものを作成し、PDFをフル画面表示出来るIPDFを使って読んでいます。快適です。
posted by smoky_air at 09:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『エンダーのゲーム』


"エンダーのゲーム"

人類はバガーと命名した異星人による二度にわたる侵攻をかろうじて撃退した。その後、来るべき第三次攻撃に備え、国際艦隊(インターナショナル・フリート、以下IF)は優秀な司令官を育成するバトル・スクールを設立した。
バトル・スクールに入るのはモニターと呼ばれる機器を身につけた上で6歳まで24時間監視され(何歳からつけるかは書いてなかった、と思います)、見込みありと判断された子供のみ。
そのバトル・スクールで優秀な成績をおさめ、自らの天才を証明し続ける少年エンダーの成長を描いたSF小説。

と、あらすじを説明するとこんな感じになるのでしょうが、はっきり言って初読時は、とてもヒューゴー賞とネビュラ賞のダブル・クラウンを獲った作品とは思えないほどかったるく、ダラダラと読み進めました。
読みづらい原因の一つにこなれていない日本語訳があると思います。

こなれていない一例がスラング。
この作品の登場人物はとにかくよくスラングを使います。
バトル・スクールの生徒達が生徒間で使うのは分かるのですが、IFの上層部の人物同士の会話でもスラングが頻発します。通常、軍の上層部の人物間では、こんなにスラングを多用しないと思うのですが、軍隊経験のない僕には分かりません。
そして、このスラングの訳がはっきり言っていただけない。
まあ、スラングに適訳があるかと問われると答えに窮するのですが、「短小針」と言われても全くピンと来ないんですよ。
この辺りはもっと上手く訳して欲しかったです。

そして、読んでいる時に最も疑問だったのが、エンダーの戦術的な才能だけが描かれている点でした。
(この戦術的才能に関しても、「それがそんなに凄いか?」という様なレベルで、“天才”というには物足りないというのが正直なところ)
まだ始まっていない、来るべき第三次攻撃に備えるのであれば、“戦術”ではなく“戦略”に長けた者を育成するのが筋だと思うのです。
「戦わずして勝つ」のが最も洗練された戦争の勝ち方だと僕は思うのですが、それを成すには“戦略”の才能が必要ですが、その方面の才能に関してはIFの上層部は全く求めていないのです。
その点がずっと引っかかっていて、読んでいても、「こんなんでいいの?」という疑問符が常につきまといました。

その他、読んでいる最中は様々な疑問が頭を駆け巡っていました。
しかし、大体の疑問は最後には解決しました(解決してない疑問点もありますが)。

決して読みやすい作品ではないし、話に引きこまれると言うこともない作品でした。

しかし、気になった部分もあったので再読しました。
再読後の評価は★★★★☆

ハヤカワさん、早く新訳で出して下さい。

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Amazonおすすめ度:


ここから先はネタバレ要素があるので注意して下さい。

なぜ初読時につまらなかったのか?
この物語を“エンダーの成長の物語”と読んだ(と言うか読もうとした。だってそう謳っているんだもの)のが間違いなのだと思います。
これは“エンダーとバガーとのファースト・コンタクトの物語”なのです。

エンダーは6歳でバトル・スクールに入り、バガーを滅ぼした時でも11歳でしかなかったのです。
11歳なんて、まだまだ子供です。しかもエンダーは意図的に孤立させられ、情緒的な教育を排除され、言うなれば“対バガー戦闘用”の道具として育成されるのです。
こんな状況下でまともに成長するはずもありません。
この物語はバトル・スクールとコマンド・スクールでの“ゲーム”を描くことにほぼ全篇が費やされていますが、それは単なる序章でしかないと思います。
この作品が発表された1985年当時は、この“ゲーム”を描くことにも意味があったかもしれません(実際にゲームとして発売されたことからもインパクトがあったのでしょう)が、今となっては全くインパクトもないし、面白くもありません。むしろ、エンダーの兄・ピーターと姉・ヴァレンタインが地球で行っていた、“ロック”と“デモステネス”というペルソナを作り上げる話の方が興味をそそられました。

作中に別のコンピュータゲームが登場します。
これは3Dのアドヴェンチャー・ゲームの様な感じで、バトル・スクールに籍を置く子供達の精神状態を把握する為のもの。
エンダーはこのゲームにおいても、現実の世界においても、追い詰められた状況下で、“攻撃的な方法”でしか局面を打開できせん。これは意図的にそうするように求められているのです。…バガーとの戦闘時に容赦なく敵を叩きつぶせるように。
エンダーが成長するのは、エンダーがバガーを“滅ぼした”後です。
“バガーという種族を滅ぼしてしまったエンダーがその後どうするのか?”
それこそがこの物語のテーマなのだと思います。
posted by smoky_air at 09:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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